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宣言下の広島をドライに往く。
またまたやって来ました、広島の街。緊急事態宣言が続く中での来訪となってしまい、残念ながらいつものバー巡りはできませんでしたが、休日も利用して時間を使いながら広島の魅力を改めて感じました。そのことについて、少し書いてみようと思います。 夕暮れの端と路面電車(市内) 今回は台風が接近中という生憎の天気の中ではありましたが、幸いにもあまり天候は荒れずに少し雨模様といった感じのなかで広島に到着しました。毎度来るたびに思うのですが、広島ではとにかく、「川」と「橋」、そして「路面電車」、この3点セットが最強な昭和ノスタルジーを呼び起こします。(といっても、自分の生まれたところには路面電車は随分前に姿を消していて、宮崎駿アニメのような世界の情景から思い浮かぶ程度ですが。)広島はとにかく川の街です。市内には、6本の川が流れており、遊歩道などもよく整備されていて、憩いの場としても活用されています。特に今回のような時期ですと、川辺のベンチに腰を掛けて談笑している人たちも結構見かけました。それも都会のような密と言う風では全くなくて、とても自然な形で適度に楽しんでいるように見えて、日が暮れた夜でも街路灯の灯りとかに照らされ、その非日常的な感じがとても優雅にさえ見えました。(と言いながら自分もコンビニでハイボールを買って真似をしてみました。サイコーでした。)東京などの都会だと川辺はどちらかというと街の交通の動き(ヒトとか車とか含む)から遮断されたりしていて、少し寂しいところがあるような気がします。また逆に田舎の方に行くと、そもそも誰もいなかったり、腰かけるベンチも無かったりとこれもまた寂しい。ところが、広島の場合はどちらかというと、そこに連続性のようなものがあって街の交通の動きともつながっているような感じで、とてもその辺が気持ちがよいのです、ベンチに腰掛けてもちょっとした離れ、もしくはテラス席にいるような感じでいられるのです。なので、ともて心地よい気分になれます。この川飲みは、今度来た時も、絶対やると思います。(広島来られるかにはおススメです!因みに自分は原爆ドーム前のベンチに陣取って寛ぎました。) 市内を流れる6本の川(https://tabetainjya.com/archives/koneta/post_6157/) さて、ウイスキーのバーは残念ながらどこも営業をされておりませんでしたが、広島の市内にはたくさんのモルトバーがあります。広島に来られた方なら特に説明は不要と思いますが、市内には「流川」(ながれかわ)という繁華街があり、広島駅から路面電車で10分程度のところ、自分は銀山(かなやま)町という駅で降りることが多いですが、次の胡(えびす)町や八丁堀にかけたくらいの南側に広がります。ここがいわゆる夜の街でもあり、東京でいうなら銀座と歌舞伎町を足し合わせたような感じかと思います。(自分は前回の訪問で「Bar Little Happiness」さんに訪問しました。)事態が落ち着けば、またゆっくりバー巡りをしたいなと思います。 瀬戸内航路から広島港(宇品)を振り返る さて、ウイスキーと広島について、改めておさらいしてみようと思います。トピックとしては主に恐らく二つかと思います。「竹鶴政孝」と「戸河内ウイスキー」。まず、竹鶴政孝について。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝の生まれ故郷が実は広島県にあります。(正直、自分は今回これを初めて知りました)場所は県中部の竹原という小さな町です。広島市内から車か電車だと海沿いに行けば2時間くらいはかかるかなと思います。どちらかというと空港よりなので、今回は帰りの道中で寄りました。竹原という町。遡ると京都の下賀茂神社の荘園であったそうで、製塩業で随分繁栄したようです。そのせいか、街並みはとても奥ゆかしく「小京都」と言われるのも分かります。この町の中心部くらいに「竹鶴酒造」という酒造メーカーがあり、ここがまさに竹鶴政孝の生家だそうです。まるでタイムスリップをしたかのように当時の趣をそのまま残しています。建物の内部の見学はできませんでしたが、日本酒を販売しているコーナーがあり、館内の様子も少しだけのぞくことができました。 竹原の街並みと、竹鶴酒造。 竹鶴政孝はこの街で酒造と製塩業を営んでいた父・敬次郎の三男として1894年に生まれた。丁度この頃は、当時抜群のブランド力を誇った兵庫・灘の酒に負けないモノを作ろうと、様々な改良が広島の酒造業界で起こっていた。敬次郎もその中の主要メンバーで、努力の甲斐があり1907年の全国品評会で広島の酒は優秀な成績をおさめる。こうして西条に代表される広島のお酒は灘や伏見とも肩を並べ三大銘醸地の一つを占めるに至った。(wikipedia:「竹鶴政孝」参照)こうした父の背中を見て育った政孝は、大阪の高等学校(現在の大阪大学)で醸造を学んだ後、学校の先輩であった岩井喜一郎を頼り、洋酒のパイオニアであった摂津酒造に入社、その後のキャリアを歩んでいく。そのキャリアの原点ともいえるのが、なんとも今ではのどかな瀬戸内の小さな町。製塩業が動いていた当時はもう少し喧騒があったのかとも思いますが、時代の移り変わりとでもいうのでしょうか。それにしても、写真の通り街の風情は十分に往時を伝えていて、「町並み保存地区」の景観と佇まいは大変に保存状態が良いです。 https://www.sakuraodistillery.com/blended/ さて、最後に語らねばならぬのは、なんといっても広島が生んだウイスキー「桜尾」、そして「戸河内」です。元々、こちらのウイスキーというのは、厳密な意味でのジャパニーズウイスキーではなく、海外からウイスキーの原酒を輸入し、自社の貯蔵庫で熟成のみを担当するという、いわば酒屋さんの延長みたいな感じでした。(現時点で巷で見かけるのは、ほぼ全量がこちらのタイプのブレンドウイスキーかと思います。)その特色は、その風変りな貯蔵庫、中国山地の内陸に位置する廃線となったトンネルを利用してます。そんな中で、ジャパニーズウイスキーのブームが到来。2017年12月には、宮島の近くにある廿日市に自前の蒸留所である「桜尾蒸留所」が稼働。今年の3月には会社の名称も従来の「中国醸造」から、同蒸留所の名前を冠した「サクラオブルワリーアンドディスティラリー」に変更、そして、ついに9月、3年の熟成期間を経て待望のシングルモルトがリリースされるに至りました。しかも、リリースされて間もないうちにアメリカのニューヨークで開催されたコンペ(*)において、最高金賞などの賞を受賞し、期待に見合う高い評価を早々に獲得しました。残念ながらまだ限定販売品のようで、数量もかなり限られているとのこと。実際に飲むことが出来る機会はもう少し先になってしまいそうですが、今後の展開が益々楽しみです。モルトはまだ輸入品だとういうことですが、これも将来的にはオール広島のテロワールで作っていくのでしょうか?広島には内陸には林野があり、瀬戸内の海もありますので、広島の地理や気候といった要素を凝縮したウイスキーにも期待をしたいところです。*New York World Wine and Spirits Competition 2021:サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション(SWSC)より歴史は浅いものの同じくらいの権威があるコンペのようです。) さてさて、今回は一滴のウイスキーも飲まず、川や酒蔵、ボトルなどを眺めるだけで、ここまで話を進めてきました。我ながらやればできるもんだと感心します(笑)。ところで、桜尾の前身である中国醸造という会社も面白い歴史があり、創業はなんと100年も前の1918年(大正7年)。つまり、広島での日本酒造りが全国的な知名度を得るくらいの時期に創業されました。そして、日本酒以外にも洋酒や焼酎、調味料(みりん)など多様なお酒造りを営んできたという変わり種。21世紀になり、自前の蒸留所を建造して今度はウイスキーやらジンやらを作ろうとしているワケ、いわゆるパイオニアです。広島の市内を流れるのどかな川辺に立っていると、あまりそうした実感も湧きませんが、20世紀初頭に灘や伏見に対抗して興った日本酒造りに始まり、今度はウイスキーへの挑戦と、何か沸々と漲るエネルギーのようなものを感じます。「地方創生」とかなんとかが言われますが、言われなくったってこうして新しい挑戦が地方からでも興っているんだなと思います。中国・四国地方はまだまだ訪れたことがないところが沢山あります。もっと色んな面白い発見ができればな~というこころで、筆を置きたいと思います。 宮島のスターバックスにて、夕日を眺めながら。 ここをクリックしてホームに戻る