スコッチウイスキー発祥の聖地に出現した蒸留所!
Et per liberacionem factam Fratri Johanni Cor per preceptum compotorum rotulatoris, ut asserit, de mandato domini regis ad faciendum aquavite, infra hoc compotum viij bolle brasii.
「修道士ジョン・コーに8ボルの麦芽を与え…」という記録に残る限り最古のウイスキー造りを示す古文書。これは当時(1494年)のスコットランド王室財務局の帳簿で、当時のスコットランド王ジェームズ4世が、修道士ジョン・コーに8ボル(約500kg)のモルトを与え「アクアヴィテ」(当時のウイスキーで、どちらかというとリキュールのようなもの)の生産を命じたもの。そのジョン・コーが在籍していたのがこのリンドーズ・アビー(リンドーズ修道院)でスコッチウイスキーの聖地”spritual home of Scotch Whisky”とも言われる所以。因みに、これは当時のスコットランド王がスコットランド西部の島を征服する際に軍隊用の遠征物資として調達されたもの、でもなんで蒸留所でお酒なの?って話ですよね、、、とりあえずは蒸留所のプロモーション動画をご覧ください。
上に紹介した動画の中で騎兵が廃墟のようなレンガ造りの門をくぐっていくシーンがあります。この建物がかつて存在したリンドーズ修道院のようです。ここからはガップリと歴史の話になるので参考程度にお読みください。
まず、そもそもリンドーズ修道院って何?って話です。これは12世紀に誕生したフランスの「サント・トリニテ修道院」の流れを汲むものです。この修道院は、世俗から離れて戒律を重視することで知られたローマカトリックの一派。その影響力はフランス国内のとどまらずイングランドやスコットランドにも及びました。ジョン・コーはそのリンドーズ修道院に所属する修道士でした。この修道院の特徴は、「労働と、祈り」で、「手仕事」が重視されたそうです。修道士が蒸留という技術を使いお酒を造っていたのも、そもそもの目的はハッキリまだ分からないようですが、何か関係があるのかもしれません。また、修道院後の発掘調査においても、この地で「蒸留酒」が実際に造られていた痕跡が確認できるようです。さて廃墟になった修道院のシーンで、もうひとつの読み方があります。それは「宗教改革」です。古文書の書かれた時代の後に、スコットランドではジョン・ノックスらによる宗教改革の嵐が吹き荒れました。当然のことながらローマカトリック系のリンドーズ修道院も標的となり、暴徒による焼き討ちにで建物は破壊されます。最後には、修道院そのものが解散となり、建屋も解体。その資材は、ファイフの街で新しく作られる建物として利用され、その痕跡は今でも確認できるそうです。かろうじて今に至るまで残ったのが、騎兵が通ってい行った「門」、これは修道院の通用口の一つだったようです。また、宗教改革による修道院の衰退とともに覚えておきたいのが、従来は(恐らくは)宗教的な意味合いを持った「魔法の液体」のような感覚であったであろう蒸留酒が世間一般に広まり、今われわれが祝宴やお祝い事で飲むような形で人々の間で楽しまれるきっかけにもなりました。故に、リンドーズ修道院はスコッチウイスキーの名実的な誕生の地であり、聖地というワケなのです。