蒸留所の建設は2005年4月に着工、わずか9か月の超短期間で完成させ同年12月に稼働開始。2006年3月11日に最初のニューメークが生まれた。2008年に台湾で最初のシングルモルトとなる「カバラン・クラシック」をリリース。世界的な注目を浴びるようになったきっかけは2010年のこと。スコットランドを代表する詩人ロバート・バーンズを祝う「バーンズ・ナイト」というイベントのブラインドティスティングのコンペ。当時新しくリリースした「イングランド産」のウイスキーに対して、本場スコッチの優位性を世に示すためだったそうだが、予想に反してカヴァランが最高得点を獲得し本場スコットランドにその名を知らしめる結果となった。2015年にはワールド・ウイスキー・アワード(WWA)においてカスクストレングスの「ソリスト・ヴィーニョバリック」が最優秀賞を獲得。その味わいは「バーボン入りミルクチョコレート」”bourbon infused milk chocolate”と評された。
水より沸点の低いアルコールは気温が高い夏場になると樽の中から揮発してしまう。そのことを「天使の分け前」(エンジェル・シェア)という。一般的には、年間で本場スコットランド2%程度、より温暖な日本で4%が揮発すると言われているが、カバランでは10%近いと言われる。カバランのウイスキーでは熟成年数を表記したものが無いのも、スコッチウイスキーのように10年以上も熟成させてしまうと中身が無くなってしまうことも要因。ただし、チャン氏はカバランは熟成スピードが早いので「長熟」をする必要がそもそも無いのだと指摘。
カバラン成功の立役者として故ジム・スワン博士を挙げない訳にはいかない。カバランがウイスキー造りをするにあたり、イアン・チャン氏はスコッチを学ぶために2年間ウイスキーの本場のスコットランドに「留学」した。その時に師事したのがスワン博士。その後カバランが操業を始めてからも技術顧問として樽選定を含む全ての製造プロセスのマネジメントに関与、何よりもチャン氏のメンターとして大きな貢献を果たした。スワン博士はウイスキーのフレーバーウィールを初めて創り出した人物とも言われ、ウイスキー業界のコンサルとして長年活躍、STR樽のパイオニアとしても知られる。リンドーズアビー蒸留所や、アナンデール蒸留所など数多くの新興蒸留所の立ち上げにも深く関与した。