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村上春樹を読んで、

この本『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』を読んだ後、少しの間を置いて、自分は思わず唸ってしまいました。「良く書けている」。あまりにも失礼なことではありますが、これは作家の村上春樹氏の筆によるものです。
氏の小説は何冊か読んだことがあります。「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」などなど。平易な言葉の連続で、本当に種も仕掛けも無いのに、読み進めていくうちに完全に虜になっている。不思議な本です。


この小さな旅行記もまさにその氏の魔法的な性質を十分に宿したものだと思いました。答えは本当に単純なのです。氏は冒頭でこう宣言しています。「ささやかな本ではあるけれど、読んだ後で(もし仮にあなたが一滴もアルコールが飲めなかったとしても)、ああ、そうだな、一人でどこか遠くに行って、その土地のおいしいウイスキーを飲んでみたいな、という気持ちになって頂けたとしたら、筆者としてはすごく嬉しい」


はい、当にそういう気持ちになりました。読み終わった後に、居ても立ってもいられなくなり、炎天下の道路に涼を求めてしまいました。(汗)

それぐらいに、自分の心をズバン、ズバン、と打ち抜くものが、この短編には詰まっていました。

とにかく、一度この本は手に取って読んでほしいなと思います。(しかも安いです。文庫で税別520円でした。)このホームページの意義が霞んでしまいますが、それでも、本当に私が好きなウイスキーのイメージそのものを描写していました。


この本ではスコットランドとアイルランドが紹介されています。スコットランドは、全てアイラ島での話です。アイラ島というのは、スコットランドの西側にある島々の中のひとつの島で、ウイスキーの生産で古くから有名です。

この島のウイスキーはモルトを乾燥するときに使う泥炭(ピート)の香りが特徴的で、ウイスキー飲まれる方の間でも、好みが分かれるところです。自分はこの島のウイスキー、特にピートの強いウイスキーが好みなので、一度は行って見たいと思っていました。

なので、私の場合は、この旅行記を読むことで、さらにその気持ちが強くなったという感じでしょうか。


私は特にアイラのウイスキーに対する思い入れがあるので、アイラ島に書かれている部分は特に心に響きました。とにかく、本を買って読むことが一番ですが、ここで少しだけ、私の感動した部分を紹介したいと思います。(本を推すのは、ページのところどころで現地で撮影された写真が挿入されており、これがまた素晴らしいからです)

まずは次の箇所。これはアイラ島の最初の紹介の場面です。アイラ島は辺鄙な場所にあり、天候も厳しく、観光名所と呼ばれるものはほとんどない。それにも関わらず、この島を訪れる人がいる、とした上で次のように続けます。


「暖炉によい香りのする泥炭(ピート)をくべ、小さな音でヴィヴァルディのテープをかける。上等なウイスキーとグラスをひとつテーブルの上に載せ、電話の線を抜いてしまう。文字を追うのに疲れると、ときおり本を閉じで膝に置き、顔を上げて、暗い窓の外の、波や雨や風の音に耳を澄ませる。」(pp. 22-23)

氏も書いていますが、まさに「英国人的な」余暇の過ごし方なのかと思うとともに、このようにしてウイスキーを楽しむものなのかと強く胸打たれました。もちろん、ウイスキーの楽しみ方は人それぞれ。これが正統的楽しみ方だというつもりは無いのです。

ただ、アイラ・ウイスキーファンの一人としては、現地でこのように厳かにウイスキーが飲まれている、というところにさすが聖地だなあ、と感心した次第。(もちろん、こういった飲み方ばかりでは無いとも内心思いますが、どうなんでしょう?)

アイラのシングルモルトといえば、「有難い教祖様のご託宣のようなもの」との表現には、思わず微笑みがこぼれました。

アイラ島のシングルモルトは、それぞれが個性の塊。もともとはブレンドのスコッチ用として出荷されるだけで、自らの原酒そのものは島の中だけで楽しまれるものでした。それが昨今のウイスキーブームにより、世界的にその名が広まったというワケです。しかし、小さな島の中で、各蒸留所がそれぞれの個性を維持し続けるとはどういうことなのか?そのことを次のように説明しています。


「それぞれが自分の依って立つべき場所を選びとり、死守している。それぞれの蒸留所には、それぞれのレシピがある。レシピとは要するに生き方である。何を取り、何を捨てるかという価値基準のようなものである。何かを捨てないものには、何も取れない」(pp. 38-39)


後半では、ボウモア蒸留所を訪れた際のことが書かれています。当蒸留所の(当時の)マネージャーであったジム・マッキュエンとの対話が印象的です。ジムは樽職人の仕事から始めたそうですが、樽熟成の様子を次のように語ります。


「アイラでは樽が呼吸をするんだ。倉庫は海辺にあるから、雨期には樽はどんどん潮風を吸い込んでいく。そして乾期(6~8月)になると、今度はウイスキーがそいつを内側からぐいぐいと押し返す。その繰り返しの中で、アイラ独特の自然なアロマが生まれていく。」(p.42)


アイラウイスキーの特徴ともいえるのが「磯の香」。


この島は一年を通して風が強いため、島の至る所にその匂いがしみ込んでいるそうです。それを「海藻香」と島の人は呼ぶそうです。泥炭(ピート)も、その土地の特徴によって香りが異なりますが、アイラは「磯くさい」ことで有名。この独特な香りは初めて飲まれる方には、少し驚かれるものかもしれません。


しかし、あなたがアイラ党(アイラが好きになるか)かどうか、このようにユーモアある表現で説明されています。


「一くち飲んだらあなたは、これはいったいなんだ?、とあるいは驚かれるかもしれない。でも二くち目には、うん、ちょっと変わってるけど、悪くないじゃないかと思われるかもしれない。もしそうだとしたら、あなたは、かなりの確率で断言できることだけれど、三くち目にはきっと、アイラ・シングルモルトのファンになってしまうだろう。僕もまさにそのとおりの手順を踏んだ」(p.46)

因みに私の場合は、新聞記事の特集で少し知識を得てから初めて飲んだため、二くち目から合流した感じでしょうか。

アイラのウイスキーの特徴は、「土地の香り」を明確に感じることができるシングル・モルトだという点です。具体的にそれは、磯の香をたっぷり含んだ泥炭(ピート)の香りであると、言い換えることもしれません。しかし、氏も説明するように、アイラの中にある蒸留所は、その同一条件でも、さらにそれぞれに個性があります。それは恐らく各蒸留所の微妙なレシピの違いであり、その伝統を純朴に今に至るまで守ってきた結果であると思います。

しかし果たしてアイラウイスキーの特別な味の正体は何なのか?氏は最後にもう一度ボウモアのジムに問いかけます。氏はその味を決める上で、島の水やピート、上質な大麦などの要因が間違いなくあるとしたうえで、次のように答えます。


「いちばん大事なのはね、ムラカミさん、いちばん最後にくるのは、人間なんだ。ここに住んで、ここに暮らしている俺たちが、このウイスキーの味を造っているんだよ。(中略)それがいちばん大事なことなんだ。だからどうか、日本に帰ってそう書いてくれ。俺たちはこの小さな島でとてもいいウイスキーを造ってるって」(p.65)

新潮文庫(1999)

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